司馬遼太郎さんの「竜馬がゆく」を読まれた方はご存知かと思いますが
坂本と青年時代を共に過ごした同郷の志士に武市半平太(瑞山)という
人物がおりました。武市半平太は坂本と同時期に江戸に渡り剣術修行を
しております。そして,日本国中が尊皇攘夷,倒幕の機運が盛り上がると
土佐勤王党を組織し,土佐藩を勤王藩にして倒幕,天皇による政治体制を
築こうと企てしました。坂本も武市の盟友として土佐勤皇党の発足に尽力
しますが,やがて土佐勤王党を抜け土佐藩そのものも脱藩してしまいます。
一方,武市は土佐を勤王藩にすべく反対派の重要人物を人斬り以蔵(岡田以蔵)ら
を使い暗殺していきます。一方,坂本はこの時期勝海舟との出会いもあり
海軍の将来性を信じもっぱらそちらに夢中になり土佐勤王党の仲間からは
裏切り者のように見られたりもしました。
さて,二人の人生の結末は皆さんも良くご存知かと思います。
土佐勤王党に夢と命を賭けた武市と 脱藩を選んだ坂本
この二人の盟友に別々の選択をさせたものは一体何なのだろうか
何故,坂本は脱藩を選び 武市は土佐藩を纏める道を選んだのか
最近 良くこの疑問を考え哲学の道を歩いております。
少しブログ記事には長くなりそうですので続きは次回とさせて
頂きます。もし,ご興味があれば皆さんもお考えになってみてください
とても興味深いお話ですね!
人生のターニングポイントですね^^
色々な状況やその人を取り巻く環境そして何より人との出逢い等々自分の意思だけではなく何かに動かされることがあるのかもしれませんね。
土佐藩の場合はまた身分の上下がはっきりしていたこともあってその枠から出ることが難しい状況にあったのでしょう。
武市半平太はあまりにもまじめ過ぎたのでしょうね。
龍馬のように人の思惑をあまり気にしないタイプとは違ったようですね!
でも誰もが一生懸命生きているのですが自分独りだけではなく周りから作り上げられていく自分というものもあるのかも知れません。
自分から神輿に乗ろうと思っても乗れない人と知らず知らずに担ぎ上げられてしまう人がいるように・・・・
武市半平太は奥様以外の女性には目もくれなかったと聞いています。
実直な方だったのでしょうね^。^
クーちゃんさん おはようございます
私のも武市の選択の背景には武市の性格と
かれが少年時代から優等生(秀才)であったが故の
同世代の郷士諸氏からの人望があったのかと思いますね
また,坂本との比較という意味では 当時の武士の価値観
主君への忠誠心がひときわ強かったのかな~と思いますね
それに対し坂本には武士としての誇りとか士農工商の
身分意識の様なものは 余り感じられませんね
(本家が才谷屋という商人だったこともあるのでしょうか)
でも,当時としては常識であった士農工商という身分意識が
何故 坂本には育まれなかったのでしょうかね~
士農工商は徳川家康が幕府体制を安定させるために
作った制度(価値観)ですが 坂本はこの価値観に束縛されずに
成長していたのですよね
そういう意味では坂本は当時の価値観からは孤独な存在でも
あったのでしょうね
あ~ 人生の選択2以降で書いて坂本の人となりを皆さんと
意見交換したことの多くを書いてしまった・・・(笑)
それが龍馬たる所以でしょうね^^
「ちゃちゃ」って笑い飛ばし
「日本人 坂本龍馬」と言い切ってしまう人物ですよ^_^;
今だから‘ほぉー”と思うかもしれないけど当時ならとてつもない変わり者ですよ(*0*)
人のきめた価値観なんてそれこそ「ちゃちゃ」ですよ^^
だってものさしは全部自分ですもの(笑)
スポンジのような男ですね!すべての経験を吸収して一つ一つ大きくなっていき自分自身で坂本龍馬という人間を作り上げていったような・・・?
不思議ですごい男だったんだろうなぁ~!!
でもやっぱり根底には愛情いっぱいに育ててくれた乙女姉さんの影響力大でしょうね*^0^*b
そう 日本人坂本 なんですよね
「わしゃ~ 土佐にゃ~ おらんぜよ」といって
事も無げに脱藩していたんですよね
そして,そこから坂本の非常にユニークな
生き方への転記となっていたんですよね
一方 盟友の武市半平太はじめ土佐勤王党は
非常に凄惨な末路を迎えますよね
大きな人生の選択であったように思われますね
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