幕府から不穏分子の巣窟と睨まれていた勝海舟主宰の神戸海軍操練所は
1865年廃止された。そして,土佐藩からの帰藩命令を無視した坂本は
ここで2度目の脱藩をする。 この逆境の中で竜馬は最先端の航海術を
身に付けた若者達と海運業と私設海軍を併せ持つ会社創設を考案し
盟友西郷隆盛に提案,これに賛同した薩摩藩がスポンサーとなり日本初の
会社が創業した。社員の給料は竜馬も釜炊きの水夫も同額という当時の
身分制度からは凡そ想像もつかない新組織であった。
そして,この亀山社中(後の海援隊)の創設以降 坂本は維新回転の
時代のうねりの真っ只中に入っていくこととなる。
学生時代に私も何度か 長崎の亀山にある亀山社中跡を訪れました。
そこからは長崎の港・海が一望できる場所です。
きっと 水平線の向こうを見つめて戦略をめぐらせたことなのでしょうか?
海援隊
面白い話ですね。
当時は海運業と海軍が同じ「独自能力」を必要としたということでしょうか。
しかし、坂本龍馬は現代のように情報が少ない中で、なぜ若くしてこのような考えと行動をとることができたのか、不思議な気がします。
天才は、物事を見る視点が凡人とは全く違うのでしょうね。
Ryoーchanさん コメント有難うございます
坂本の情報源はズベリ人脈です。
勝海舟,佐久間象山をはじめ 大久保一翁,松平春嶽
河田小龍(⇒ジョン万次郎),横井しょうなん 等々
当時の先見性のある人物と一通りの人脈を形成しております。
では 一介の浪人が何故ですが
勝海舟や その他の人の紹介で どんどん人脈を拡げています
司馬遼太郎さんは そこに坂本という人間的魅力が気に入られ
いろんな 人を紹介してくれたのではと解析しています。
と同時に 坂本は身分制度等当時の日本では常識と思われていた
ことを常識とはとらえない 坂本自身の素養もあったように思われます
kaientai
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