人生の選択(坂本竜馬と武市半平太)その2

昨年,12月1日に同じタイトルでブログを投稿させて頂きました

今日は その続きを書きたいと思います。
坂本を脱藩に行動させたのは「やりたいことをやりたかった」からなのかな~と
思えて参りました。私なりの解釈なのですが 坂本も追い求めていたもの(夢)って
「海の向こうに行きたい 身分差別のある窮屈な国ではなく 差別の無い自由な地を
訪れてみたい そして海を自由に行き来したい」といった想いを求めて生きた人生
だったように思われます。
これに対し武市は優等生という一面もあり 使命感・義務感が強かったのでしょうか?
故に当時の価値観(藩・藩主への忠義,天皇への憧れ⇒勤皇倒幕)を前提に
行動していった面があるように思われます。
こうして考えて見ると 二人は盟友でしたが その人生哲学に大きな違いがあったのは
確かなようですね。
また,人生選択のポイントであるにも関わらず それに気づかずもしくは気づいても
行動できずに過ぎていく人生も多くあるように思われます。

こう考えると経営にとって経営哲学が重要であるように 我々にも人生哲学というものが
個人個人にとって重要なもののように思われてきました。
人生哲学なんて言うと堅苦しく聞こえてしまいがちですが 坂本の場合はもっと
感性的なものであったようにも思われますが何となく そんな気がしてきました。


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この記事へのコメント
武市と龍馬は身分が大きく違いますね。同じ藩ならなおのことそうですね・
私たちと当時の人たちで根本的に考え方が違うのは「身分」の存在ですね。私がわかるのかといわれてもわからないのだけれど。

脱藩すれば、好きなことができる。
脱藩すれば、ほんとに好きなことができるのか。
脱藩なんて普通は、人情沙汰を起こしたとか、横領などの犯罪を犯したとかまれに仇討ちなどほとんどで、大志を持って脱藩なんてふつうじゃ、考えられない。
あの時代だからこそできたのかな。
Posted by くりくり at 2007年02月02日 23:41
人それぞれ生まれ育った環境や状況により物の感じ方や考え方が違うことは仕方の無いことでしょうね!
ましてや土佐藩という独特な環境の中でのことですから・・・・
どちらが正しくてどちらが間違っているとか言うものでもありませんよね
私がいつも想う事は人は自分の意思とは違うところで動かされていく部分があるように思われます
いくら自分がなりたくてもなれないように
なりたくなくてもならなくてはいけなくなってしまうこと・・・
もちろんそれなりの地盤がなければいけませんが・・・
武市の場合は担ぎ上げられた神輿の上に乗ってしまったこと!
龍馬は乗らずに自分が動かす側に回ったこと!
そして二人の大きな違いは視点の違い視野の違いだったのでしょうね
龍馬は頭で理解するのではなく本能で感じるタイプだったから脱藩が出来たのでしょう
普通に生きていたって大なり小なり人生のターニングポイントってあるじゃないですか!その選択がその後の人生にどのように関わりあってくるかは神のみぞ知るですね(^_^;
Posted by クーちゃん at 2007年02月03日 02:41
くりくりさん クーちゃんさん おはようございます
武市と坂本 確かに2人の置かれた立場は違いましたね
脱藩 確かに坂本は家が裕福であったから脱藩しても
志すことができましたよね 他の脱藩者は食べることに
追われ志に行動することすらままならなかったようですよね
そういう意味では 坂本のケースは特殊なのかも知れませんね

どちらが正しいか間違いかは 僕にも無い様に思われますね
意思とは無関係の力・・・ これは僕も感じますね
きっと そういうものがあるのだろうなって・・
(稲盛さんも書かれてました)

お二人にも共通する部分にもなるかと思うのですが
私には 時代の流れの違いというか 時機の違いという部分も
あるのかな~って思えてなりません
安政の大獄⇒桜田門外の変 と来て武市の土佐勤皇党や長州が
活躍した時代がありました。 しかし,この流れは長く続きませんでした
薩摩・会津が長州の膨張を恐れ 蛤御門の変・長州征伐となります。
この流れの中で土佐勤皇党も土佐藩に粛清されてしまいました。
坂本は この時,海軍操練所で血生臭い環境とは別のところに身を
置いており土佐藩から帰藩命令は出ましたが無視し2度目の脱藩を
しています。しかし,長州で高杉がクーデターを起こし長州が再び
勤皇藩になると時代は また逆の動きをします。
坂本らの活躍により薩摩と長州が手を結び 大政奉還・倒幕へと
流れて行きます。
安政の大獄までの倒幕の流れを第一の流れとし
蛤御門までの流れを第二の流れ
大政奉還,新政府樹立までを第三の流れとすると
武市は第二の流れに乗り 坂本は第三の流れに乗りました
冒頭にも触れましたが どちらが正解でどちらが誤りというのではなく
武市は第二の流れで時代を変わると考えてしまった,
坂本は第二の流れでは時代は変わらないと考えていたような節を
”竜馬がいく”を読む限りでは感じます。

話は変わりますが 昔,どなたかに海の潮の流れが
海面と海底では違うと聴いた事があったような・・・
第一,第二の流れは海面の流れで 第三の流れが本当の歴史の
流れだったのかもしれません。勿論,第一・第二があっての第三
なのですが・・・
でも これを正確に読める人なんてそうはいないんでしょうね
神様か仏様か
坂本にしても 勝海舟や横井しょうなんらからの耳学問で感性的に
理解していたのかも知れませんね

またまた 話は変わってしまうのですが
私にとって坂本の人生の好きなところは 皆(自身も含め)が幸せになる
社会を自分の好きな事,やりたい事(海,船)を通して実現しようと
したことにあるようにあるように思います。

書いているうちに論点が ころころ変わってしまい判りにくく
なってしまいましたね ついつい長文になってしまいました
申し訳ありません
Posted by kaientai at 2007年02月03日 10:19
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